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暮らしのコツ

シンガポールの「朝のひかり」

シンガポールの朝

 赤道直下、北緯1度に位置する常夏の都市国家・シンガポールの夜明けは遅く、明るくなるのは午前7時頃。だから窓から漏れる朝の光で自然と目が覚めるということはなく、いつも目覚まし時計をきちんとセットしておく必要がある。
 日本人小学校に通う娘の毎日のお弁当つくりのために起床するのが6時。まだ真っ暗だ。現地の公立校も開始時間は早く、シンガポールでは子供たちは暗いうちに学校に登校するのがふつうだ。
 前夜の残り物をメインに手早くお弁当を準備し、朝食の準備も整え、6時20分頃には寝室の明かりを点灯して、まぶしがる娘を無理やりベッドから引きずりだし学校に行く支度に追い立てる。7時10分前に通学バスのピックアップポイントに連れているのは夫の役割なので、週に数回は6時半頃すぎに5キロ程度のランニングに出かける。 わが家から国立植物園「ボタニックガーデン」までは1キロ強、エントランスにたどり着くときはまだ薄暗い。夜が終わってまさに朝を迎えようとする時間だが、この瞬間の「ボタニックガーデン」は素晴らしい。夜間に活性化して芳香を放つ白い花の甘い香りが、闇の終焉を惜しむかのようにあたりに立ちこめている。園内を走りすすむにつれ、鳥たちがさえずりはじめ、周囲がだんだんと明るくなってくると、ボタニックガーデンには続々と人が集まってくる。
 熱帯の大木が生い茂る湖の向こうから赤らむ朝の光に向かってヨガの瞑想ポーズをとる人たち、毎朝同じ場所に陣取るマスターに率いられ太極拳を行うグループ、短パンとポロシャツの出で立ちで連れだって株価の話などをしながら早歩きをする年配のお仲間さん、黙々と走るランナー、雇い主の犬を散歩させて歩くメイドさん、ベートーヴェンの第9の最終楽章「歓喜の歌」が電子音でマーチ風に編曲された奇妙な音楽にあわせて、シンガポール風(?)ラジオ体操のような運動をしている大人数のグループ、むせかえるような濃い緑のオゾンを深呼吸しながら、それぞれに朝の時間を過ごしている。
 開園150年という長い間に見事に進化し成熟した熱帯雨林が鬱蒼と茂るこの公園は、観光名所であると同時に、市民の憩いの場所だ。観光客でにぎわう昼間はとても暑く、広い園内を歩きまわるとかなり消耗することになる。ボタニックガーデンは早朝が一番。

1.朝のコーヒーショップのテラス席 2.国立植物園「ボタニックガーデン」。まだ朝露にぬれる熱帯の樹木の濃厚な緑の香りをいっぱい吸い込もう。 3.早朝の「ボタニックガーデン」。ウェディングフォトの撮影スポット目指して汗をかきかき移動するカップルたちの楽しい風景にも出会える。 4.「ボタニックガーデン」園内では、早朝からあちらこちらで市民グループが集まって体操をしている。 5.こちらは太極拳のグループ。

 夜明けは遅いが、シンガポールでは早起きは三文の得だ。一日で最も快適な時間帯に、安くておいしい朝食があれこれ選べるから。多民族国家ならではの朝食のバラエティの豊かさにおいて、シンガポールはとても魅力的なところだ。華人、マレー人、インド人、それぞれの食文化が、高温多湿な気候風土の中で変容し、香辛料の多用によって独特なマレー半島の料理を生み出してきた。
 朝は、市街地の随所に点在するスターバックスよりも、街角のコーヒーショップに出かけるのがいい。外食好きのシンガポリアンたちは、朝からオープンエアの庶民的な店に陣取って、思い思いの朝食を注文する。炭火で軽く焼いたトーストにバターをたっぷり載せ、ココナッツと卵を煮詰めて作る"カヤジャム"を塗って食べるカヤトースト、プラスティック製のれんげでカップからすくって飲む、コンデンスミルク入りの甘いコーヒーや紅茶。
 シンガポール建国の父リークアンユー氏も好物だという"ミーシアム"は、ビーフン麺にゆで卵、もやし、油揚げなどをトッピングして甘酸っぱいグレービーをかけたスパイシーな麺料理。朝食にはちょっと濃厚すぎるかな、と思うが、辛味と甘味に加えて、ギュッと搾るライムの酸味のハーモニーがとてもマレー半島らしい味。"ロティ・プラタ"はインドとマレーの食文化が融合したようなパンケーキで、これも独特の朝ごはんメニュー。極め付けは"肉骨茶"。ポークリブを香辛料で煮込んだスープで、中国本土からマレー半島にわたって来た労働移民者が、安くて滋養によい朝食として考案したものと言われている。白コショウの利いたスープと、一緒に飲む濃い中国茶の効用か、オープンエアな環境で汗をたっぷりかきながら食べるのは意外にも爽快だ。
 このように、シンガポールの朝は「朝日をたっぷり浴びて爽快に一日をスタートさせよう!」という日本や太陽の光を追い求める気候風土にある国の通念とは異なり、太陽が昇って暑くなってしまう前に早く朝の深呼吸をして、その足で屋外のコーヒーショップで朝食をとり、日中はなるべく光を避ける、という過ごし方が快適で健康的ということになる。
 つまり、"採光"ではなく、"遮光"に気を配ってきた生活様式、そして前述のリークアンユー氏の「エアコンは20世紀最大の発明だ」という有名な言葉は、短期間に高度な経済成長を遂げ、強い勤労意欲を育んできたシンガポールを語るに不可欠な文言だと思う。

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1鮮やかなトロピカルフルーツたちがあふれるマーケットの果物屋台。 2オーチャードロード界隈から一本はいったキリニーロードのこの小さな店が、庶民の憩いの場として90年も開業している「Killiney Kopitiam」。 3煮出したコーヒーと紅茶は、コンデンスミルクを入れて甘くして、スプーンですくって飲むのがローカル的光景。カリッと焼けたカヤトーストと半熟卵が朝食の定番メニュー。 4スパイシーでグレービーがこってりしているので、朝食にしてはちょっと刺激が強すぎ? と思うが、甘さ、辛さと酸っぱさが調和した味はなんともローカルっぽくて、「Killiney Kopitiam」の雰囲気とマッチ! 5名物つくりたてのカヤも5ドルで販売中。 
シンガポール共和国

人口

約531万人(2012年9月末)

面積

約716㎢(東京23区と同程度)

首都

シンガポール

宗教

仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンズー教

時間帯

UTC+8

マレーシアに隣接するシンガポール島と周辺の島嶼を領土とする東南アジアの都市国家シンガポール。北のマレー半島(マレーシア)とはジョホール海峡で隔てられている。サンスクリット語で「ライオンの町」を意味するシンガプラが国名の由来となっている。建国は1965年。イギリス連邦加盟国。国内に多国籍企業のアジア太平洋地域の拠点が置かれることが多く、国際的な金融センター、物流拠点としても知られている。外交方針はASEAN諸国との友好協力関係を基軸とした地域協力への努力。東南アジア地域のハブ空港として、数々の国際賞に輝くシンガポール・チャンギ国際空港は島の東端に位置している。

プロフィール

かさい・れいこ●東京生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業。米国ラトガース大学芸術学部音楽学科大学院修士課程修了。ハンガリー、カナダ、スリランカなどに在住の後、帰国して1996年に照明デザインを手がけるLPA入社。「照明探偵団」事務局の責任者としてさまざまな文化イベントの企画運営を担当する。2000年よりシンガポールに出向し、LPA-Sの設立に寄与す。同社の業務と平行して広くアジアの各国を視察調査し、フリーライターとして建築、アート、都市文化を中心とした執筆活動を行う。

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